「人生で一番面白い漫画を一本だけ挙げろ」と言われたら、正直に言って胃が千切れるほど迷う。
『ドラゴンボール』や『ONE PIECE』が王座を占めるのはわかる。完璧な構成美の頂点として『寄生獣』が挙げられ、緻密な知略戦と心理描写で『HUNTER×HUNTER』が崇められ、圧倒的な怨念の筆致で『ベルセルク』が君臨する――どれもぐうの音も出ない大傑作だし、その選出には1ミリの異論もない。自分だってそれらの作品を前にしたら本気で頭を抱えて唸ってしまう。
だが、極限まで迷い、悩み抜いた末に、最後の一本として絞り出される答えは100%『ファイブスター物語(FSS)』なのだ。
それなのに、世間の「おすすめ漫画ランキング」や「歴代名作ベスト100」の類をいくらスクロールしても、そこにFSSの影はない。錚々たる名作たちが順当に並ぶ棚の片隅にすら、この作品の背表紙は見当たらないのだ。
累計発行部数は紙だけで1,000万部超。数年に一度の新刊が出れば少年ジャンプのメガヒット作とオリコン1位を争う。それなのに、なぜこの作品は大衆のレーダーから完全に不可視化されているのか。
理由はシンプルだ。一切の迎合を拒絶する永野という名のバスター砲が、すべてを焼き払っているからである。
今の時代にウケるための必須条件――SNSでのバズり、TikTokの切り抜き、無料試し読み、Kindleのセール、アニメのサブスク世界配信。そうした現代のマーケティング作法を、この作品はただの1ミリも採用していない。公式がバズを狙って踊ることもなければ、スマホの縦スクロールに歩み寄る気配もゼロ。現代人がエンタメと接触するための超強力なSEOやアルゴリズムの恩恵を、作者自らがことごとく遮断しているのだから、一般的なランキングの集計機に引っかかるはずもない。
だが、言わせてもらいたい。
「知る人ぞ知る」で済ませるには、あまりにも勿体なさすぎる。漫画という表現媒体を愛しながらFSSを通らないのは、文字通り「漫画人生の10割を損している」と断言していい。
読者に1ミリも媚びず、ここまで不親切を極めた作品が、なぜそこまで絶対的な引力を持つのか。
その元凶である、永野護という怪物の常軌を逸した才能から紐解いていきたい。
すべての創作者がひれ伏す「原点にして頂点」
まず認識すべきは、永野護という男がカルチャー史に打ち込んできた楔の異常さだ。
天文学、神話体系、現実の服飾史、材料工学、量子力学から軍事理論に至るまで、全編に敷き詰められた情報の密度と解像度は、文字通り常軌を逸している。資料を調べて描いている作家の次元などとうに超えているのだ。まるでこの宇宙の物理法則と歴史を裏から統べる管理者が、自分が設計した世界の記録を淡々とこちら側に現像しているのではないか――そう確信させるほどの圧倒的な全知全能感が、紙面を支配している。
後続のトップクリエイターたちがこぞって真似をし、影響を公言してきたその仕事は、比喩ではなく「原点にして頂点」と呼ぶしかない。
- メカニックデザインの破壊と創造(工学の絶対主権):
『重戦機エルガイム』でロボットアニメに関節の「ムーバブル・フレーム」という工学概念を持ち込み、FSSではハイヒールを履いた半透明装甲の騎士「モーターヘッド(MH)」で造形美の極致を極めた。それだけにとどまらず、2012年には30年かけてファンと模型業界が築き上げた膨大な資産と共通言語を、「今の自分の工学理論に合わない」という理由だけで自ら灰燼に帰し、ツインスイング・フレーム駆動の「ゴティックメード(GTM)」へと全リブートを敢行した。ロボットの骨格と関節理論をゼロから工学レベルで再設計し、自らの美意識のためだけに過去の神話を自ら破壊して再構築できる創造主など、世界に他にいない。 - 生きたオートクチュール(美と服飾の絶対主権):
ファティマたちが纏う衣装は、単なるアニメ的な記号やコスプレではない。「デカダン(中世・拘束の人形)」から「プラスチック(近未来・兵器の規格化)」を経て「アシリア(現代モード・極限のアスレジャー)」へと至る。現実のパリ・コレクションや服飾史の変遷を完璧にトレースし、作中社会における人権と実用性の変化と完全に同期させている。流行を追うのではない。星団のオートクチュール史そのものを、たった一人で創造・統制しているのだ。 - 神話的な威厳と俗っぽさ(全能者と人間性):
全知全能の光の神でありながら金欠でバイトする天照。星団最強の剣聖でありながら女癖が悪く借金まみれのダグラス・カイエン。冴羽獠のような「普段は三枚目、光剣を抜けば最強」という黄金比率を踏襲しつつ、そこにギリシャ悲劇のような過酷な血統と運命の呪縛を背負わせる。完璧な神性の中に、どうしようもない人間の業と愛嬌を同時に成立させる筆致は、神の視座を持つ者にしか描けない。
あらゆる分野において、後のトップクリエイターたちが生涯をかけて追う「到達点」を、何十年も前に一人で踏み荒らして通り過ぎていった男。それが永野護という怪物なのだ。
「連載しながら考える」を拒絶した狂気のスタート
通常の商業漫画は「読者の反応を見ながらライブ感で作っていく」のがセオリーだ。毎週アンケートを睨み、人気が出れば引き延ばし、打ち切りになれば急いで風呂敷を畳む。
だが、FSSのスタート地点は最初から狂っていた。
単行本第1巻の巻頭に、数千年どころか数億年、果ては数千兆年先の特異点にまで及ぶ宇宙の「公式年表」が載っているのだ。
誰がいつ生まれ、誰が誰と戦い、どの国家が滅び、星団暦7777年にフォーチュンで何が起き、さらには宇宙の果てで全能神とラキシスがどうなるのか――物語の結末を含めた「すべてのネタバレ」を、第1話の時点で読者に開示している。
「オチが分かっている物語の何が面白いのか?」と普通の編集者なら頭を抱えるだろう。だが、本当に恐ろしいのはそこではない。
かつて天才発明家ニコラ・テスラには、「機械を設計する際、試作機を作るまでもなく脳内に実物を組み立て、そこで何ヶ月も稼働させて部品の摩耗テストまで完了できた」という逸話がある。
冗談のような話だが、漫画という表現において、それを完全に地で行っているのが永野護という男なのだ。
「新連載の第1話のネームを見せて」と言われて持ってくるものなど、普通はせいぜい数枚の紙切れだ。
だが、この男が机の上にドンと叩きつけたのは、脳内ですでに全宇宙の歴史を運行させ、1ミリの狂いもなく網羅された「分厚い歴史書」そのものだったのである。
後から付け足した辻褄合わせの設定などではない。連載が始まるその瞬間に、すべてが用意され、完成していたのだ。
結果(歴史的事実)が最初から確定しているからこそ、そこに辿り着くまでのキャラクターたちの足掻き、誇り、散り際の美学が、逃れられない「運命の記録」として読む者の胸をえぐる。
誰もが憧れながらも真似することが叶わないこの構成スタイルは、支える人間に要求するキャパシティの次元が違いすぎるのだ。
普通の作家が初手でこの情報量を背負い込めば、第1話を描き切る前に物語の骨組みが自重で粉々に砕け散る。
作者が気まぐれに広げる風呂敷ではない。最初から完結までの全宇宙が作者の頭の中に完全に組み上がっており、彼はただ「星団史編纂室の記録官」としてその歴史を淡々と紙の上に現像しているに過ぎない。この設計思想のスケールは、文字通り「前人未到にして後続絶後」だ。
なぜ「おすすめ」されないのか?――王道にして異端の排他性
巨大ロボット、騎士、姫と従者、神話と建国。描いているテーマの骨子は、少年たちの血を沸かせる「超王道」である。しかし、その届け方が徹底的な「異端」なのだ。
現代のヒット作の条件は「誰にでも手軽に勧められること」だ。スマホで1話目が読めて、アニメがNetflixで配信されていて、主人公に素直に感情移入できること。
だが永野護は、その親切心を1ミリも持ち合わせていない。
- 電子書籍の完全拒絶:
「見開きの大画面で視線誘導を設計しているのに、スマホでコマをブツ切りにされたら構図が死ぬ」「液晶の画素ピクセルがスクリーントーンと干渉してモアレを起こす」「バックライトの自発光ではインクの沈み込む黒が出ない」。デジタルの出力限界を知り尽くしているがゆえに、読者の都合で作品をハサミで切り刻まれるような「ディスプレイの暴力性」を頑なに拒絶する。 - 映画の円盤化・配信拒絶:
劇場アニメ『花の詩女 ゴティックメード』に至っては、「映画館の最高峰のスクリーンと7.1chの極上音響でなければ、ハーディ・ツェントラーの放つ重低音と光のダイナミックレンジにならない」として、Blu-ray化も配信も一切せず、定期的な劇場上映のみに限定している。
「最高峰だが、軽率に人に薦めると火傷する」。
読者に媚びず、客を選び抜き、ドレスコードを満たさない者は平然と門前払いする高級仕立屋(オートクチュール)の傲岸不遜さ。この分厚い防壁があるからこそ、大衆向けアンケートの網の目からFSSは完全にこぼれ落ちてしまうのだ。
では、FSSが「みんなのおすすめ」になる日は来るのか?
唯一の突破口があるとすれば、誰もが待ち望む「電子書籍の解禁」だろう。スマホで1話目が読め、Kindleのセールに並び、誰もが手軽にポチれるようになれば、間違いなく新規読者が雪崩を打ってこの神話に触れるはずだ。
だが、答えは絶対に「否」だ。スペックや便利さで妥協する男ではない。「作品をどう鑑賞させるか」という儀礼のすべてを、永野護自らが完全に支配していなければ気が済まないからだ。
もし彼が電子化を許す日が来るとしたら、既存のKindleやiPadに妥協することなど絶対にない。
間違いなく、専用のハードウェアごとプロデュースしてくるはずだ。
A3見開き原寸大の、二面デュアル電子ペーパー。
外装はミラージュ騎士団の装甲を思わせるドライカーボンモノコックで、ヒンジにはGTMの「ツインスイング・フレーム」を模した削り出し金属レール。開閉するたびに精密機械のソリッドなロック音が響く。
画面に触れて適当にスワイプすることなど許されず、スイス製高級時計のような物理ロータリーダイヤルで1ページずつ送らされる。拡大しようとピンチインすれば、「構図が崩れるため拡大は許可されません」とシステム警告が出る。
そしてOSには、読者の心拍数と部屋の照度を冷徹に監視する「ファティマOS」――いや失敬、「オートマチック・フラワーズOS」が常駐しているのだ。
部屋の明かりが少しでも暗くなれば、画面の片隅から冷ややかな音声が流れる。
「マスター、環境照度が不足しています。永野先生の指定トーン階調を再現できませんので、表示をロックいたします。適切な読書灯を確保してください」
完全受注生産、お値段およそ50万円。
もちろんBluetoothなんてナメた圧縮音源は非対応で、GTMの駆動重低音を鳴らすためだけにゴツい特注有線アンプ端子が突き出ているような、狂気のデバイスだ。
……そして恐ろしいことに、もしそんな端末が出た日には、我々信者は泣きながらローンを組んで買ってしまうのである。
FSSが誰のランキングにも選ばれないのは、負けているからではない。最初から他の作品と同じ定規で測れる場所に立っていないからだ。
他の大傑作たちにどれほど心を奪われ、迷わされようとも、究極の一本を問われれば自分はやはりこの神話を指差す。
誰も選ばなくていい。
大衆のレーダーに映らない地下宮殿の奥底で、この「前人未到にして後続絶後」の怪物は、今日も静かに、そして圧倒的な美しさをまとって君臨し続けている。
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